「軍艦旗」の来歴を追う仲村さん(中)と御堂岡さん(右)、調査に協力した本名さん
広島県呉市の三津田高放送部員が、卒業生から父の遺品として託された「軍艦旗」についての調査研究を進め、映像番組の制作にも挑んでいる。裁断された状態だが一辺が3メートルを超えるものもあり、元のサイズからすると大型艦船の儀式用と思われるという。
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旗は、旧海軍の艦艇などに掲揚された旭日旗のデザイン。新制の同高1期生の宮本田鶴子さん(90)=呉市=が2020年、実家で父の遺品を整理していて見つけたという。3枚あり、いずれも別々の旗の一部と分かった。一辺は約1・3~3・1メートルで、裁断前のサイズは、長辺が4メートルを超える計算。1枚は片面に布団綿が付着していた。
宮本さんの父は、昭和村(現呉市昭和地区)村長や広島県議を務めた松浦数人さん(1973年に71歳で死去)。戦中、呉海軍工廠(こうしょう)で戦艦大和の建造にも携わったという。旗についての書き置きは見つかっておらず、来歴は不明だが、宮本さんは「心に留める人に見てほしい」と母校に連絡し、後輩に預けた。
謎だらけの旗の調査に乗りだしたのが、放送部で活動する3年仲村花さん(17)と2年御堂岡(みどおか)ゆきあさん(16)。「呉で終戦を迎えた大型艦船から外され、松浦さんの手に渡った」との仮説を立て、地元の大和ミュージアム学芸員や郷土史家たちに取材して回った。呉で爆撃されて着底した戦艦や航空母艦をリストアップし、占領軍が撮影した記録映像も収集。「船の解体作業に自ら出向いて入手したのでは」「闇市で布団になっているのをしのびなく思って買ったのかも」―。終戦前後の呉の光景に想像を巡らせ、探求を重ねた。
今月初めには、海上自衛隊幹部学校(東京)戦史統率研究室の本名(ほんみょう)龍児さん(46)=1等海佐、広島市南区出身=を招き、実物を前に助言を仰いだ。本名さんは「麻の布地や色調は現存する当時の軍艦旗に酷似し、巡洋艦以上の大型艦船で儀式用に掲げられたサイズと矛盾しない」と指摘。大和が沖縄特攻へ出撃する直前、可燃物をまとめて陸揚げしたことに触れて「大和の旗だった可能性も否定はできない」と話した。
放送部としてNHK杯コンテストへの応募を念頭に、番組制作も進める。部長の仲村さんは「いつもの通学路に空襲や闇市が確かにあったんだと、戦争の歴史を手触りする感じがした。その実感を込めたい」と意気込む。